黒魔術とRock

私はHR/HM好き世代であるが、HR/HMという世界は、黒魔術との関連が深いらしい。
この本に、そう書いてありました。



私は歌詞をまったく聴いていない人間なので、「地獄へ道連れ〜」と歌っていても、「天使のご加護を〜」と歌っていても気がつかないし、どうでもよい。日本語で歌われると、好むと好まざるとに関わらず、耳についてしまうが、その点、英語による歌というのは、意味がよく分からなくてありがたい。

HR/HMに限らず、グラムロックでは、マーク・ボランが、魔女と同棲していたとも言われ、30歳になる前に自らの予言通りに事故死した。

「ブリティッシュ・ロック・シーンの黒魔術ブームを作ったのは、一説によると、アメリカ人の前衛映画作家ケネス・アンガーだったと言われる。自宅がロンドンにあって、夜ごとロック・クラブに出かけて、彼の黒魔術論を布教していたらしいが、66年頃、当時オックスフォード・ストリートの裏通りにあったミュージシャンの巣窟『スピードクイージー』で、ローリング・ストーンズやザ・フー、ジミー・ペイジらと出会い、彼らをこの世界に引きずり込んでしまったのだ。
ケネス・アンガーは20世紀最大の魔術師と呼ばれ、魔術界最高の地位に立ったと言われるアイレスター・クロウリーの信者で、ミュージシャン連中をその信奉者にしてしまったことが、黒魔術ブームの発端となった。」

…で、要約しますと、黒魔術はミュージシャンの好む耽溺、ドラッグ文化との親和性が高かったこともあって、その世界観や儀式がどんどん広がっていった、そういうことのよう。

こちらが、アイレスター・クロウリーの屋敷を購入されたジミー・ペイジさん。
身内に問題を抱えた子どもが生まれた、とかで、周囲からは、黒魔術の世界から足を洗えと言われていたらしい。とあるミュージシャンの死に関し、黒魔術の世界から関わったという嫌疑により、裁判所にも呼ばれたそうな。
昔はカッコよかったジミー・ペイジ
かっこいいじゃないか、この頃は。

私の弟が言うには、レッド・ツェッペリンは、69年が頂点。
その後、ジミー・ペイジのギターは線形的に下手くそになっていき、ロバート・プラントの声も出なくなっていく。しかしながら、なぜか70年代後半の楽曲はカッコいい、んだそうだ。

しかしそのように考えてみると、(私の愛好する)マイケル・シェンカー・グループって、「悪魔がどうしたこうした」とかという歌詞の曲はないように思う。本当にないのかどうかは調べたことがないのだけれど。

シェンカーさんは、これまたはっきりした人で、自分の作った曲にどんな歌詞がのっかろうと、まったく関心のないお方(何がテーマであるかにすら、関心皆無)。歌メロと歌詞にはノータッチの、丸投げタイプである。
UFO時代のシェンカー
UFO時代のシェンカー。こっちもカッコいいじゃないか。

しかし不思議なのは、HR/HMのバンド(コウモリを喰うオジー・オズボーンとか、見た目ハードなAcceptとか)であっても、歌詞やMCで
“God bless you !”
と叫んだりしていることである(これくらいの英語は私にも分かる)。

あなたたちは、白いんですか?黒いんですか?その叫びには、何か深い意味でもあるんでしょうか?教えてください。

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才能と努力(2)

古賀兄弟の次は、Schenker兄弟である(向かって左が兄のルドルフ、右がマイケル)。

schenker兄弟

ここのご家庭の場合、先にバンド活動を始めていた兄の影響で、弟がギターを始める。
どちらも、世界的に有名なギタリストになっているので、優れたDNAをもつ一家なのかもしれない。ちなみに、妹バーバラも、ナントカというバンドで活動していた。
マイケルの長男タイソンも、現在ギタリストとして活動中なり。

イギリスのハードロックバンドUFOのギタリストとして引き合いのきた若干16〜17才の(英語がちっとも分からない)弟を、励まして送り出したScorpionsのリーダーである兄ルドルフ(当時は兄弟でScorpionsのギタリストを務めていた)。

マイケルは「天才ギタリスト」とか「神」とか、よく言われるけれど、それ以上に音楽に関する「努力家」で、かつ「完璧主義者」だということを忘れてはならない。いくら天才であったとしても、努力なしに、才能だけで演奏できる範囲は、たかが知れておりまする。

私の読みました、コノ本(↓)のインタビューで、マイケルは次のように語っている。


(マイケル)僕は毎日トレーニングしているからね。だからこそギター・テクニックは上達する…、誰だって練習を重ねれば巧くなるし、怠れば下手になる、そういうことさ。

(インタビュアー)あなたのような域の人は毎日の練習なんてしないと思っていました…。

(マイケル)そういう変な余裕を持っているギタリストは、必ずレヴェル・ダウンする。誰であろうが人間なんだから、努力しなきゃ見返りはないよ。(中略)
どこかの誰かが、一切練習をしなくても指の動きをレヴェル・ダウンさせないトリックでも編み出してくれたら別だけど、現実には練習なしにはやっていけないと思うよ。これはギターだけではないと思うよ。何に於いても“プロフェッショナルとしてやっていく”ということは、“努力してそれを続ける”ということなんだ。まぁ、音1つで自分のすべてを語るのがトレードマークだ、というギタリストならともかく。(中略)
例えば一般的な話だけど、15年前と今を比べた場合、その人間の才能と呼べるものは15年前から既にそこにあったと思うんだ。重要なのは、その後その才能を如何に伸ばして行くことが出来たか、そこだよ。


マイケルさんは、「精神面が弱い」と言われていて、私も同じように思っておりますが、あの方には、いきなり失踪してしまったりという気が弱いところがありながらも、音楽に関しては絶対に譲らない意固地さというか、頑固さというか、駄々をこねて我を通すタイプの強さがあり、それゆえに (加えて、兄ルドルフのサポートがあって) ハチャメチャなことをしていても、業界で生き残ることができているのではなかろうか。

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才能と努力(1)

古賀先生の温故知新活動の一環として、こんな本を読んでみた。

古賀稔彦が翔んだ日―バルセロナ、奇蹟への道

実兄である古賀元博氏が本文を書いている。

私は戦中派の両親に育てられ、愛知の管理教育を (その学区に住んでいたため仕方なく) 受けているため、厳しい父をもった古賀兄弟の生い立ちや、「柔道で勝つ」ことに向かって必死な姿はイメージが湧くし、ところどころ共感もするし、感動もする。

でも、今の時代の親や子が読むと、「児童虐待」と感じられる部分があるかも。

同書には、小学校時代の恩師が寄稿しているが
「時には練習せざる者、食うべからざるとばかり、夕飯に呼ばないこともあった。父親が額に汗して得たお金、母親が真心込めて料理。それにふさわしい人に食べてほしいのだ。」
とある。

現在よく見られる、「子どものすべてを受け入れましょう」「報酬として愛を与えるのはやめましょう」的教育モードを基準に考えると、「練習しなかったくらいで、食事を食べさせないとは何事だ」「子どもだって、練習したくないときがある。それを受け入れない親はおかしい」となりそうだ。

一体、どちらが適切な対応なんですかねぇ。

子どもたちが、自らやりたいと言って始めた柔道、父は「やるなら本気でやれ」と言う。父も毎朝5時半に起きて、子どもたちのトレーニングに付き合った。

東京にある柔道の名門、講道学舎に入ったのも当人たちの意志。先に古賀兄が入門した際、父は長男(古賀兄)に「帰ってくるな」と言ったらしい。今どきおらぬでしょう、こういう親。「つらかったら、いつでも帰ってきていいんだよ〜。(無理はさせたくないし、私たちも寂しいし…)」という親の方が、間違いなく多い。

私は、どういう偶然か、古賀兄弟が全日本の選手権大会の決勝戦で戦う姿を、当時のTVで見た。昔は今よりも、柔道の大会をTVで中継していたような気がする。

結果は弟である稔彦選手が兄に勝ったのだが、その後、兄は故郷で高校の教員になったという。

兄を追いかけるようにして上京し、講道学舎に入った稔彦選手(=後の古賀先生)は、それまで何をしても (と言っては大げさかもしれないが) 兄にはかなわなかった。

「それから小1時間ほどして、座っている弟に話は何だと言うと、スーパーマーケットで売られている魚のような目をして、『兄ちゃんは死にたいと思ったことはあるか』と言う。これは重傷だと思いながら『一度もない』と答えると、弟は黙っている。おまえはそんなことを考えたことがあるのかと聞くと弟は『昔はある』と答えた。私が昔とはいつだと尋ねると、柔道を始めた頃はいつも思っていたと言う。
『同時に柔道を始めたのに兄ちゃんはどんどん強くなっていく、自分は一向に強くならない。それが悔しくてたまらなかった。柔道だけじゃない、何をしても兄ちゃんには勝てない。兄ちゃんは先へ先へ行ってしまう。プロレスをしてもボクシングをしても兄ちゃんには負けてしまう。これなら勝てるかもしれないと思って柔道を始めたのに兄ちゃんどころか同級生にだって勝てない。それが悔しくてたまらない。このままではとても兄ちゃんに勝てそうもない。』
『俺に勝つ自信はないのか。』
『兄ちゃんには勝てない。』
そう言って弟は目を伏せた。
私が柔道を止めるのかと聞くと、弟は『分からない』と答えた。
寮の布団に潜り込み弟のことを考えた。隣では同級生がごうごうといびきをかいている。私が今の弟にしてやれることはただ一つしかないように思われた。
翌日より私は弟に背負い投げを教え始めた。岡野功先生が私に教えてくれた通りに、手取り足取り教えた。弟は何かに取り憑かれたように背負い投げを繰り返した。」(P.81-82)


それが、稔彦氏(=古賀先生)の後の見事な一本勝ちの得意技へとつながっていくのだが、同書の後半に稔彦氏による講演記録が載っていて、そのエピソードについてこのように語っている。

「兄のその指導というのは、基本に凄くうるさかったんです。やはり勉強でもそうだと思うんですけれど、最初にしっかりと身につけていませんと、必ず後々、その技というのは崩れていくんですね。ですから、『今の段階のうちに基本をしっかり覚えろ』ということで、指の位置から足の格好まで、本当に小さい所までチェックされて、そして少しでも間違っていると、『そうじゃねえんだよ!』とかいいながら、あの背負い投げで思いっ切り投げられるんです。初めは憧れて、『やっと、この背負い投げを教えてもらえるな』という気持ちで教わっていたんですけれども、最後は怖くなってきて、『こりゃ、早く覚えないと身が持たない』と思ってですね。それで自分自身、居残り練習をしたりとかして、早く覚えようといった気持ちで身に付いたんですけれども。」(P.141)

余談であるが、稔彦氏(=古賀先生)は、女の子として誕生することを期待されていたため、幼少時は、そのような服を着せられ、髪型も女の子のようにさせられていたという。小学生低学年の頃は、エプロンをして、母親とよくお菓子づくりをしていた、とあって興味深い。

古賀先生は、日本柔道界においては、「天才肌」に分類されることが多いが、結局ね〜、「才能やセンスがあって、努力できる人が天才になる」んじゃないの?努力せずに、才能一本で成立している天才は、ひょっとしたら美術とか、宗教の世界にはいるのかもしれないが。

当人の自発性により何かを始め、苦しい思いをしないで済む程度の努力によってもたらされるものというのは、当事者やその周囲の人たちなりの「満足」であって、それはそれで「100%OK」なんだけれど、勝負や競い合いの場には向かない気がする (特に日本人の場合)。

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